ジクサー150は電動化いらんよね

クルマの電動化についてここのところ様々な議論がなされていますが、業界のプロの間でさえこれほど意見の相違があるものなのかとちょっと驚いています。完全電動化(燃料電池含みます)確定派の自動車評論家さんでさえ、最近はe-fuelのことを口にするようになってきたところを見ると、それだけ今の時点では判断の難しい問題だということなんでしょう。しかもややこしいことに、今現在多くの自動車メーカーが強化されるCAFÉ規制に間に合わせるため、とりあえず何でもありのクルマ作りを大急ぎで進めているように見えます。このことが、さらに先行きを分かりにくくしているのではないでしょうか。

いずれにせよ、私のような小市民は黙って来るべき時代を迎えるしかないのですが、できることなら誰にとっても恩恵のあるものになってほしいと思います。私はバッテリーの原料となるリチウムやコバルトなどの採掘現場の現状を知りません。どんな人たちが、どんな環境で、どのくらいの報酬で仕事をされているのか。そしてその地域では何が起こっているのか。さらに言えば現在の、規制強化を睨んだ大急ぎのクルマ作りが今後環境に無駄な負荷を与えることになりはしないのか。

欧米の超高級BEVを見るたび、今という時がお金持ちの「お楽しみの時間」で終わらなければいいのだけど、なんて思ったりします。

 

(2021)

笛吹は誰だ 2

前回、私は「マスク付けっぱなし」に感じる疑問を述べました。しかし、私はきれいさっぱり忘れておりましたが、これとはまったく逆に、実は良いこともあるんじゃないかとも思っています。それも、まさに国道沿いの歩道を歩いている時に、です。

タバコ好きで知られる筒井康隆さんは、以前、嫌煙運動(タバコ害の喧伝)は自動車メーカーが裏で糸を引いている、というようなことをおっしゃっていました。まあ、半分冗談だったのかもしれませんが、言わんとしている事は分かります。それに関して言えば今、日野自動車の不正が大きな問題になっていますが、会社の存続が危ぶまれるほど叩かれているところを見ると、余程ひどいことをしたんでしょうね。でも、それならば、です。
私の住む町を走る路線バスの話なんですが、たまにものすごい黒煙をまき散らしながら走っている車両を見かけるのです。しかも平坦な道路で。運転の仕方にもよるのでしょうけど、あんなの、どうやって車検を通っているのかさっぱり分からない。少なくとも、最新の技術で何とかしようとはしていた日野が存続の危機に立たされ、あのような毒ガス発生装置を平気で走らせる地方の行政は、お咎めなし。誰も文句を言わない。「いやいや、日野の隠ぺい体質がいかんのだ」…おっしゃる通りです。ちなみにそのバス、なぜか、暗い早朝などによく走ってました(最近は見ないので、対策されたと信じたい)。
排気ガスだけではありません。今世界中で何億台のクルマ(バイク)が走っているのかは知りませんが、毎日発生しているタイヤのチビリカスも、ある程度は大気中に舞っているはずです。もっと言えばクルマ関係以外でも、見えないだけで、「恐ろしく危険なもの」がいっぱい飛び回っています。

ということから、「マスク付けっぱなし」も悪い事ばかりではないように思うのです。そしてもしコロナ禍後も、それを続けるとすれば、肺がんの罹患率の推移を調査研究すべきではないでしょうか。なぜなら、この件で最も重要なこと、本質は、「大気汚染による人体への影響を、最小限にとどめる」ことだったはずだからです。

 

笛吹は誰だ

何度も書いてきたように、K県は完全なるクルマ社会です。大阪だと、歩いたり自転車で移動していた人達が、全員クルマに乗っているようなものです。なので、歩道を歩いていても滅多に人とすれ違うことはありません。私の住む町は、K県でも比較的人口が多い所なのですが、それでも出会うのは30分歩いて1、2人でしょうか。そして、皆マスクを付けています。

私は、ずっと前から不思議でしょうがないのです。国道沿いの、こんな広い歩道を一人で歩いていて、なぜマスクを付ける必要があるのかと。すれ違ってもその間隔は1mどころではありません。しかも、ご近所さんでない限り、互いに黙ってすれ違うだけです。風も吹いている。法的な規制があるわけでもない。冬なら分かります。ウィルスとは関係ない理由がある人もいるでしょう。しかしこの暑い中、感染対策と言うならば、いったいどういう「考え」によるものなのでしょうか。すれ違う時の鼻息が問題なのでしょうか。だったらどんな厳重な対策を行おうと、ハナから感染を防ぐことなど不可能です。また、一人でマスクを付けたままクルマを運転している人を見かけると、暑苦しくて運転に集中できていないのでは、と気になります。「慣れた」と言うなら、マスクを付けていない時と同等の運転ができるようになった、という意味でなければ、実は危険なのです。

日常的にマスクを付ければ、普通に考えて、同じ時間あたりの酸素摂取量は減るでしょう。そのことが長期的に見て、日本人の脳にどのような影響を与えるのか、私は非常に心配しています。またもや考えすぎでしょうか。でしょうね。ただ、私のスタンスはこうです。権力のある人たちが「さあこの列車に乗りなさい。乗り遅れちゃだめです」と国民のケツをたたき、皆が一斉に同じ方向に動き出したときは、駅のホームで、しばらく様子を見ます。怒られたり、「乗り遅れて失敗した」場合は、あきらめるしかありません。しかし時に、2台目、3台目と続くうち、列車に乗る人の数が減ってくることもあります。「違っていた」と言って帰ってくる人があらわれることもある。帰りたくとも帰れない人も。要は、考えるチャンスは誰にでもある、ということです。結果がどうなるにしろ、いっとん立ち止まって考えてみても損はありません。勉強もできず、子供のころからさんざんアホぼん呼ばわりされてきた私は、特にそう思うのです。今。

お弁当ついてますよ

 

白いクーペと、夏の終わり

ラジオで地元のFMを聴いていると、聞き覚えのある古い外国の曲が流れてきました。かつてクルマのCMで使われていた曲です。そういえば先日、愛車を運転中に久しぶりに稲垣潤一さんの歌を聴いていたのですが、この時はヨコハマタイヤのCMを思い出しました。

何十年も昔の話です。当時のクルマやタイヤのCMは、ドラマチックというか、何とも言えない奥深さを持ったものが多かったような気がします。そこには、必ずと言っていいほど誰かの歌声がありました。そして、モータースポーツの香り。夢のような時代でした。

そんな時代を過ごしてきた私が、最も好きなクルマのCMは何だろうと考えた時、真っ先に浮かんでくるのが80年代に放送されたスターレット(KP61)のCMです。舞台はノルウェートロールティーゲン(悪魔のはしご段)。操るはオベ・アンダーソン!曲がりくねったダートを、豪快に砂煙を上げながら駆け抜けるスターレット。今思い出しても鳥肌が立ちます。実際あれがどのぐらいチューンされた車両だったのかは私には分かりませんが、少なくとも外見はピカピカのノーマルスターレットが見せるラリー本番さながらの走りは、もう本当に最高でした。今でもネットで観られるのかな。

後年アレに近いものを観たのは、TDKビデオ「オーナーズバイブル インプレッサWRX」で、コリン・マクレー、桜井幸彦の両氏がノーマルインプレッサでの激走を披露してくれます。特に桜井さんの、フロント荷重を重視した走りが興味深かったですね。

今、九州には勢力の強い台風が向かってきており、私の住む町でも「壊れたピアノ」のような雨が降り始めました。大きな被害をもたらさないことを祈るばかりです。

操作について 10

目線(視線)について少し補足したいと思います。

運転は逆算 
 例えば山間部などのカーブが続く道を運転中、何となく走行ラインが定まらない、リズムよく走れないなどと感じる時があります。理由はいろいろ考えられますが、ここでは「目線」に関係する何らかの原因があると仮定して考えてみます。
 走行中の目線は、前述のような道の場合、手前から先へ先へと送るのが基本です。そして遠くまで見通せるほど走行ラインが分かりやすくなり、そのためにどのようにクルマを操作すればいいのかが導き出されます。「操作の逆算」ですね。道の先の状況に関して取得できる情報は、多ければ多いほど、より安全に、正確に走れます。そういえば昔、クルマの大先輩H氏が助手席に座っている私に、「手前のコーナーなんて見てへんよ」と、よく言ってました。この人は中年まで2.0近い視力を保っていた為なおさらで、その視力は大きな武器になっていたはずです。速い人って、そういう細かい部分の積み重ねにその理由があったりしますね。ちょっと話がそれましたが、もちろんどこまで見るかは、その時の道の状況や車速によって変わってきます。とにかく、これが上手くいかないと操作がギクシャクする恐れがあるわけです。

利き目
 ここまでは主に「目線の使い方」について述べてきました。次に「目」そのものの使い方について考えてみたいと思います。今更な話で恐縮ですが、手や足に「右利き」「左利き」があるように、目にも「利き目」があるそうです。であれば、当然運転中も、その見やすい方の目の視界を中心に見ているわけで(個人差はあるでしょうが)、そうなると自分では気付かないうちに脳内での視野を狭めてしまっている、かもしれません。
 これは経験に基づく話です。山間部の流れの良い広い国道を運転中、内側は視界良く見通せる少々回り込んだ右カーブにさしかかったとしましょう。顔を少し右に向け、カーブの先へ視線を送り、問題がないか確認します。同時に、さしかかったカーブの路面状態、特に外側の浮き砂利や舗装の荒れによる凹凸等、これらがハンドルの切り始め、つまりクルマの向きを変え始める最も重要なポイントに存在していないか、注意を払わなければなりません。この時、もしドライバーが利き目中心にものを見ていて、それが右目であれば、意識はかなり左に寄ることになります。奥と手前を行ったり来たりする感じとでも言いましょうか。そうなると、逆算の組み立てに支障をきたす恐れが出てきます。そのようなことが起こったら、どのように対処すればいいでしょうか。
 カーブに進入する瞬間、先を見ながらも、意識を左目に寄せてみます。左を見るわけではありません。心の中で左目の視野に意識を向け、左右の目の視界のバランスをとってみるのです。うまく行けば、これによってカーブの各ポイントを広く認識でき、同時に自然と走行ラインが浮かび上がってきます。もちろんこれは、左カーブでも同じことです。

視点
 少し極端な例だったかもしれませんね。誰もがこのような視界の問題を抱えているわけではありません。ただ、ドライビングの問題を解決するためには、色んなアプローチがあると知っていただければ幸いです。
 思うのですが、今回のような話は、むしろ白内障緑内障を患っている私のような年配者にこそ知ってほしい気がします。これは他人事ではないのですが、年をとるにつれ、自分を客観視できなくなるんですよ。人間は。