考え方 3

 昨年12月のことです。

 私の住居は古い住宅街にあり、ひとたび敷地を出ると、付近はどこもかしこも軽自動車さえすれ違うことが難しい狭路ばかりです。そんな道路が抜け道として毎日頻繁に利用されています。
 人間の心理上、抜け道はその狭さに反して通過速度が高くなりがちです。30㎞という制限速度さえ高く感じられるこの道を、毎日たくさんのクルマが猛スピードで走り抜けていきます。当然事故も多く、時々砕けたサイドミラーの破片が散らばっています。
 
 さて先月のある夜、私は用があってクルマで自宅を出ました。すぐにバックミラーに小さくヘッドライトの光が見えたのですが、その上下動の速さ、大きさからかなり飛ばしていることがうかがえ、ちょっと「嫌な感じ」を覚えました。
 やがて、唯一余裕をもってすれ違い出来る広さがあるきついカーブにさしかかり、そこで対向車のライトに気が付いた私は止まって待つことにしたのですが、その時には「嫌な感じ」が最高潮に達していたので、前から来る対向車ではなくバックミラーを注視しました。
 直後、後続車のヘッドライトの光がミラーに飛び込んできました。到底ブレーキが間に合う速度ではありません。対向車がいても数メートル進めることは確認していたので、私はすぐアクセルを踏みこみました。やはりブレーキが間に合わないと知ったその後続車は右にハンドルをきって私のクルマのリヤバンパーをかすめるように対向車線側に飛び出し、そこで急停車しました。たまらないのは対向車で、こちらもまさかの出来事に急ブレーキ。徐行していたためか、幸いぶつかることなく止まることができました。もしぶつかっていたら、私も罪悪感を抱く羽目になっていたでしょう。
 
 とにかく誰も接触事故を起こさなかったのは幸運でした。年末に事故なんて、お互い最低の気分で新年を迎えることになるのは間違いないですから。
 後続車について問題点をあげます。
 まず飛ばしすぎ。余程急いでいたのでしょうが、どういう事情があろうと事故ったら意味がありません。照明を一切持たない歩行者の存在についても頭から飛んでます。次に、夜間でカーブミラーがあるにもかかわらず前方車両の発する光を見ていなかった。実は夜間ほど、遠く(死角)のクルマを発見しやすいのです(そのために非常に重要なことがありますが、後述します)。最後に、これだけは越えてはいけないという自分の中の「線引き」ができていなかった。これらの点からかなり危険なドライバーだと断言できます。
 こういうことがあると、やはり用心するに越したことはないなと思います。
 ただ、私にはもう一つ考えるべきことがありました。
 この後続車のドライバーを責めるのは簡単です。が、情けないことに、これらの問題点は正直言って私自身にも当てはまることばかりなんです。
 かつて土屋圭市さんが「ドライビングはそいつそのもの」とおっしゃっていました。レースに関する話の最中に発せられた言葉ですが、一般道でも同じことです。もしかしたら、私がこういったことをあれこれ考えるのは、ほかならぬ自分自身を一番信用していないからなのかもしれません。
 大事なことは、常に「次に」何が起こるか予測し続けることです。それは他人の運転だけでなく、時には自分の運転も客観的に見つめてみよう、ということでもあります。
 そして予測するということは、視点をかえれば自分自身も「予測されやすい」運転をする必要がある、ということなのです。