あるドライバーへの追憶

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 私は今でも「何故コリン・マクレーは1000湖で勝てなかったのか」と、考える時がある。 
 苦手意識があったのかな、などと想像もするが、しかし92年の1000湖では二度も横転しながら8位に滑り込んでいる(二度目は70m転がったらしい)。彼は最初からスプリンターだったのだ。
 もちろん、いくら考えたところでジャーナリストでも関係者でもない、どこにでもいるクルマ好きのオッサンにすぎぬ私に分かることではない。ただ、不思議に思うだけだ。

 マクレーとは同じ年に生まれ、同じBC5 、GC8(中身は別として)のステアリングを握り、バイクが好き・・ということ以外、何の共通点もない。それでも他の多くのファンと同じく、私には特別な存在だった。ヘンリ・トイボネンのように。
 92年の1000湖に限らず、派手なクラッシュの多かったマクレーは「マックラッシュ」などという良からぬあだ名をつけられた時期もあったようだが、それでも翌年93年、BATカラーに彩られたマニュアルミッションのレガシィを駆るマクレーのドライビングは、深い森に訪れた夜明けの空気のように、美しく冴えわたっていた。コーナーの手前から大きくクルマの向きを変えるスタイルは変わらなかったが、例えばポルトガルでのインカー映像を見れば、車格の大きなレガシィを曲げるために必要な量でしかなかったことがうかがえる。余計なカウンターは一切無い。さらに付け加えるなら彼は、ギヤボックスをとてもうまく操る名人でもあったのだ。
 ところで彼の父であり、五度もイギリス選手権チャンピオンを獲得したジミー・マクレーも、すばらしく安定した速さを見せるドライバーである。私が知るのは二十年くらい前のマンクスラリーの車載映像だが、すでにいい歳になっているはずなのにそのドライビングは実に見事なものであった(ミスコースはするが・・)。ちなみにWRC最上位は、83年RACでの3位。また、この年はアクロポリスでも8位を記録している。

本当にうまいドライバーは、クルマを壊さない。それは真実ではあるが、少なくとも95年までのマクレーは速いだけではないドライバーだった。私はそう信じている。

(2013年)