阪高トライアル

 今朝、最初の現場に向かうべく、阪神高速池田線に乗った。
 交通量は少なめで、その分流れも悪くはない。それなのになんだか走りにくい。環状線に合流するあたりで、それが顕著になってきた。
 今日は平日とは違う。猛然とあおってくるトラックも、やたらと飛ばす営業車も、突然幅寄せしてくるタクシーも普段ほどにはいない。家族連れや、うらやましいカップルの若者達が乗ったセダンやRVばかりである。
 なのに、どうにも怖い。
 この感覚をどう説明すればよいだろうか。
 「頭文字D」の中で、池谷先輩が拓海とイツキをS13に乗せて峠を攻めるシーンがあった(と思う)。この時の拓海の感じる恐怖とイツキの考える恐怖の違い、あんな感じである。
 阪神高速(というより大阪市内)におけるクルマの動きというのは、かなり無秩序に見える。しかしその是非はともかく、どれほどギリギリの状態になっても、最終的には引くべき方が引く、といった暗黙の了解がある。なんとなく見極めがつくのが救いだ。
 運転とはつまるところ予測することだ。それにはクルマをコントロール出来ている事が条件となる。また予測しなければコントロール出来ないとも言える。この二点は背中合わせである。そしてそれはドライバーとクルマの間だけの事ではなく、同じ路上を走るクルマどうしの間にもあてはまる。だが、まわりのクルマとの関係を考えずに走るドライバーの行動は予測できない。
 私は、クルマは家電品と同等になってきており、誰にも扱いやすいという意味でこれは良い事だと考えていた。だが、クルマにはある種の扱い方というものがある。まずい事に、何か起こった時にそれは要求されるが、普段はほとんど見えてこない。クルマ側の支援もまだ発展途上であり、そもそも単独で安全を確立させるには限界がある。
 誰も電子レンジのドアを上手に閉める方法など考えない。リモコンがどうやってテレビのチャンネルを変えるのかなんてどうでもいいことだ。
 私の考え方は古いのだろうか。

(2012年8月)