私は仕事柄、毎日軽自動車を運転している。大阪市内を走る機会が最も多いが、他府県に行くこともある。走行距離は1年間で約2万キロ程になる。
考えている間にも横断歩道はだんだん近づいてくる。子供の顔がはっきり見える距離まで近づいた時私はその男の子と目が合い、そして、気づいた。
最近自転車を運転する人のマナーが色々取り沙汰されている。その多くの人が、時には歩行者であったりクルマのドライバーであったりするはずなのに、何故このように問題になるのだろうか。
やはり自転車に動力源が無いことが大きな理由の一つだと思う。電動アシスト車も増えてはいるが、多くは自分の脚力だけで漕がなければならず、そうなるとやはり歩道だろうがなんだろうが減速や停止をなるべく避けようとする事になる。ただ、これだけの理由で命がけの運転はできない。
自分がクルマを運転していて最も危険に感じるのは、斜め後方の死角から飛び出して前方を横切られた場合だ。これはクルマが信号などで一時停車し、再発進する瞬間によく見られる。もはや言葉もない。
ぎりぎり間に合うと判断してのことであろうが、ここには本当に危なければクルマが止まるだろう、という甘えがある。そして想像力の欠如。この点は無謀な横断をする歩行者にも同じことが言える。
さらに共通する特徴を挙げれば、横断中接触寸前の危機的な状態に陥っても、ある人は薄笑いを浮かべてうつむき、またある人は決然と前を睨みつけたまま、決してクルマを見ようとしない。見なければ無いのと同じ、という事なのだろう。
残念ながら、クルマという他者に対して完璧に安全な全自動の乗り物が勝手に走っているわけではない。今はまだ人間が走らせているのだ。と、偉そうに言ってみたものの、かくいう私の運転マナーもろくなものではない。自分自身が起こした幾度かの事故の経験を振り返ってみても、多くは他者への甘えや思い込みが原因になっていた。やはり扱うのは人なのだ、と思う。
彼は最初から最後までクルマ自体には目もくれず、ひたすらドライバーの顔を覗き込むようにして見ていた。私はそのような子供をあまり知らない、それが違和感の正体だったのだ。
