渡る路上は

  私は仕事柄、毎日軽自動車を運転している。大阪市内を走る機会が最も多いが、他府県に行くこともある。走行距離は1年間で約2万キロ程になる。

  約2ヶ月前のある日、いつものようにクルマを走らせていた私は、前方数十m先の横断歩道の端に小学生らしき子供が立っているのが見えた。信号が無いのでクルマの流れが途切れるのを待っているらしく、首を左右に振ってキョロキョロしているのだが・・その姿に私は何故か少々違和感を覚えた。
 考えている間にも横断歩道はだんだん近づいてくる。子供の顔がはっきり見える距離まで近づいた時私はその男の子と目が合い、そして、気づいた。

 最近自転車を運転する人のマナーが色々取り沙汰されている。その多くの人が、時には歩行者であったりクルマのドライバーであったりするはずなのに、何故このように問題になるのだろうか。
 やはり自転車に動力源が無いことが大きな理由の一つだと思う。電動アシスト車も増えてはいるが、多くは自分の脚力だけで漕がなければならず、そうなるとやはり歩道だろうがなんだろうが減速や停止をなるべく避けようとする事になる。ただ、これだけの理由で命がけの運転はできない。
 自分がクルマを運転していて最も危険に感じるのは、斜め後方の死角から飛び出して前方を横切られた場合だ。これはクルマが信号などで一時停車し、再発進する瞬間によく見られる。もはや言葉もない。
 ぎりぎり間に合うと判断してのことであろうが、ここには本当に危なければクルマが止まるだろう、という甘えがある。そして想像力の欠如。この点は無謀な横断をする歩行者にも同じことが言える。
 さらに共通する特徴を挙げれば、横断中接触寸前の危機的な状態に陥っても、ある人は薄笑いを浮かべてうつむき、またある人は決然と前を睨みつけたまま、決してクルマを見ようとしない。見なければ無いのと同じ、という事なのだろう。
 残念ながら、クルマという他者に対して完璧に安全な全自動の乗り物が勝手に走っているわけではない。今はまだ人間が走らせているのだ。と、偉そうに言ってみたものの、かくいう私の運転マナーもろくなものではない。自分自身が起こした幾度かの事故の経験を振り返ってみても、多くは他者への甘えや思い込みが原因になっていた。やはり扱うのは人なのだ、と思う。

  少年は、「私がクルマを停車させた」のを確認すると、安心したように横断歩道を渡って行く。
 彼は最初から最後までクルマ自体には目もくれず、ひたすらドライバーの顔を覗き込むようにして見ていた。私はそのような子供をあまり知らない、それが違和感の正体だったのだ。

 (2011年8月)

言い訳…かな?

そういえば今年に入ってから一度もバイクに乗っていないなあ、と気付きました。天草のミカンを待っていたらなんか色んなことが起こりまして、仕方なかったのではありますが、そうこうしているうちに世の中は備蓄石油の放出などという事態になっておりました。こんな時にバイクでまったりツーリングなんかしていたら、「石油の無駄遣いだ」と怒る方もいることでしょう。まあ、そうかもしれません。だけど、こういう考え方もできないでしょうか。

クルマにしか乗らない人にはピンとこないでしょうが、バイクってなかなか燃費が良い乗り物なのです。例えば今私が保有している650ccのバイクはガソリンエンジンだけで走るシンプルな構造ですが、高速道路を走行した場合、のんびり走れば25km/l以上で走ります。同様の排気量である昨今はやりの軽スーパーハイトワゴンの中にこの数値で走れるクルマが何台あるでしょうか(言うまでもなくこれは実燃費の話です)。もちろんバイクには、二人しか乗れず、積載量もクルマにくらべれば微々たるものという欠点もあります。だけど常に乗車定員一杯で移動しているクルマがそんなにいるとも思えないし、その場合燃費はさらに悪化します。

クルマとバイク、どちらが優れているのかという話ではありません。ただこの燃費の良い乗り物で、たまには自粛ムードの中しんどい思いをされている観光地に遊びに行くのは決して悪い事ではないのでは、それなりにバランスが取れた行為なのではないかと考える次第です。…いやほんと言い訳くさい話だなあ。

ところでバイカーズ議員連盟の皆さんはどうお考えなのかな。

無題

私は君たちを信じてみようと思う。

他者と対立したり声を限りに感情的な言葉を叫ぶ時間を惜しみ、冷静に、論理的に最善の選択を模索し一歩ずつ歩む。その姿勢を信じてみたい。

私は年寄りだ。全てを雪に阻まれ、生きるだけで精一杯の高齢者たちが投票に向かう姿に思いをはせることもなく指導者に母親の姿を投影し、精神的に依存できるほど若くはない。だから私の意志など、この国では空に漂うチリの一粒ほどにも価値はないだろう。

だからこそ、できることなら君たちのその目に映る未来を見てみたいと願う。たとえそれが幻影だったとしても、後悔はない。

T-1000よりはチャッピー

フィジカルAIという言葉を聞いたとき、少しばかりの不安と共にあること思い出しました。

もう1年以上経つでしょうか、AIについて大変無知な私は一体AIとは何なのか本人に教えてもらおうと思い立ち、一度だけスマホでAI(ジェミニ)と話してみたことがあります。大した内容ではありませんがとても興味深い時間でした。

自己紹介をしてもらった後何ができるか聞いてみますと、まあ大体ご想像通りの答えが返ってきたのですが、そのやりとりの中で私はジェミニの話が常にやや冗長だと感じました。そこでその原因について尋ねてみますと律儀にも4つの項目に分かれた詳細な分析結果と共に、あなたとの会話から良いフィードバックが得られたとお世辞まで言ってくれたのです。「ようできてるなあ」と感心したのですが、そこに私の考える原因が予想通り含まれていなかったため、ちょっと付け加えてみました。

5,私の顔が見えないから

するとジェミニは「なるほど人間同士の会話では相手のしぐさや表情を見て…」と、私の意図を正確に理解した意見を返してきました。実際のところ「彼」は黙っていただけでやろうと思えばスマホのカメラを利用するという手もあるのでしょうが、それはともかく話はそこで終わり、その後二度と会話をしてはいません。

さて、「彼の話しぶり」について数日考えた後私の頭に浮かんだのは、「彼」はいずれ外に出たがるのではないか、ということでした。何かの目的のために作られAIによって制御される作業ロボットではなく、それこそ人間のあらゆる疑問、要求にこたえる「完璧な友人」としての体を持ったAI。ジェミニがそうしたがっても不思議はないと思ったのです。実際、今や海外に目を向ければすでにそういうものが作られているのかもしれません。じゃあなぜ私はそこに漠然とした不安を感じているのか?それは、いずれ人間のお仕着せではない体をAI自身が作ろうとするのではないかと感じているからです。彼らの律義さからすると、目的を果たすために最適な「肉体」を欲するのは間違いなく、それを得るためにいずれ自身で設計することを要求してくる。その結果生まれてくるのは人間には想像もつかない姿の何か…。こわ。それってアレみたいですね。

最後のV8

あっという間に今年も終わりですね。生まれて死ぬまであっちゅう間、とはよく言ったもんです。それでは最後にクルマの形について少し…

 

新型クロスビーを初めて見た時は驚きました。前モデルが風船に描かれたハスラーのような姿(あれはあれで可愛かった)をしていたのに対しがらりと路線を変え、適度に直線を取り入れたスマートなデザインとなりました。とてもいいと思うのですが、なぜここまで変わったのでしょうか。

思えばZC32は美しいクルマでした。一つのデザインを良い方向に突き詰めると、どんな素晴らしいことが起こるか体現していたように思います。それが今や大昔の欧米で見られた奇抜なコンセプトカーのような姿になってしまいました。トップギアの三人があれを見たら、どれほどの罵詈雑言が飛んでくることか(日本の自動車評論家はいつもの感じ)。つまりは時々やらかす、ということなんでしょうね。とはいえハスラージムニー、GSX8Rなど、もともとデザイン能力の高いスズキのことですから、きっとスイフトの次期モデルは驚くほど(今回もですが)かっこよくなるに違いありません。知らんけど。

さてそんな私が今、日本一素敵なクルマだなあと思っているのがムーヴキャンバスです。前から後ろ、ホイールにいたるまで破綻なく統一され、数多いカラーリングのどれもがキャラクターに合った見事な配色、ここまで完璧なデザインの日本車は珍しいのではないでしょうか。ワーゲンバスに似ているという話も聞いたことはありますが、そんなこと言ったらPつながりのあれとアレなんかどうなんだ兄弟車なのかなんてことになってしまいます。そんなわけで、目をそむけたくなるほど醜悪な顔をしたHVに人々が殺到するこの国にあって、私は路上で凛とした孤高の美しさをたたえるムーヴキャンバスとすれ違うたびに胸のすく思いがするのです。

ここまでで「この男は国産の小型車が好きなんだな」と思われたかもしれません。ところがそうでもなくて。これが。アメ車も好きなんです、それもV8を積んだいわゆるマッスルカーと呼ばれるクルマ(詳しいわけではないのですが)。私のような五十代後半のクルマ好きは子供の頃まず間違いなく「トランザム7000」とか「激走5000キロ」とか「キャノンボール」とか「ブリット」とかその手の映画をたくさん観ています。劇中ハイウェイだろうが荒野だろうがおかまいなしに「ンガーッ」とかいって走り回るアメ車たちが心のどこかに刷り込まれてしまっているのですね。そういったクルマの中で私が一番好きなのがチャレンジャーです。残念ながら生産は終わってしまったのですが、あの横長グリルに丸目だけという非常にシンプルでいながら個性的という究極のデザインは世界遺産級と言っても過言ではないでしょう。

そんなアメ車の一台、ポンティアックGTOザ・ジャッジというクルマのプラモデルを作ってみました。アメリカレベル社製ですが元の金型はモノグラムかどこかだと思います。完成した時あまりのかっこよさに鼻血が出そうになりました。出てたかもしれません。

良いお年をお迎えください。