水掛け論

CARトップ9月号の「最近常識外の行動多くないですか?」という記事が秀逸でした。ドライバーや同乗者の不可解な運転、行動を集めたものなのですが、どれも思わず「あるなー」と口にしてしまいそうなことばかり。面白いので是非ご一読いただきたいと思います。

そこには当然のように「蛇行左折」もあったわけですが、その理由の一つとしてあげられていたのが「ハンドルの上部を片手(多分右手)で握って運転する癖がついているから」というもの。一度右回転で下にひいてから左に切り込む動作になっているという指摘だと理解しましたが、なるほどこれなら、左に回す角度は実質半回転ほどですが、ぐるっと大きく円を描くことで持ち変えずに曲がっていくことはできますね。

ところで、最近は我がK県でも取り締まり強化の成果が現れはじめたのか、横断歩道を渡ろうとする歩行者に、停車して譲るドライバーが目に見えて「増えて」きました。大変良い事だと思います。しかもそれだけではありません。その取り締まる立場のパトカーが、最近みんな早めにライトを点灯させるようになってきたのです。どうしたんでしょうか一体。いいんだけど。

このような運転マナーについて、私としてはもう一つ、ぜひとも注目していただきたい問題があります。それは雨天、歩行者に水を浴びせて走るドライバーの存在です。私はK県に来て早々、歩道のない道を歩いていて、頭から水をぶっかけられました。大きな水たまり、歩行者、狭い道、制限速度をはるかに上回る速度。これだけそろえばどうすべきかサルでも分かりそうなものですが、そのドライバーには考えつくことができなかったようです。ちなみにこれは違反行為です。

しかし、これはなにもK県だけの話ではありません。大阪に住んでいた約十年前、あるブログでこの話をしたところ、北海道在住のモータースポーツの先輩から「こっちもひどい」というコメントをいただきました。つまりこれは全国区の問題なのです。今後運転支援技術が発展していく中で、「歩行者に水をかけない」という機能が追加されるかもしれません。笑い話のようですが、すでに同様の装備が現実化しています。オートライトの標準装備化です。「便利」が理由ではないのは明らかで、こらもういよいよだと思いました。

ざんない話ですが、こんな誰一人読んでいないブログで言ってもどうにもなりません。CARトップさんでもベストカーさんでもどちらでもいいので、この件、今一度取り上げてくれないかな。

操作について 9

・ステアリング 5

 

タイヤありき
 ところでハンドルを切るとなぜクルマは曲がるのでしょうか。ここでタイヤに注目してみましょう。
 タイヤはクルマの中で最も重要な部品です。専用に開発されたタイヤを装着しなければバランスを崩してしまい、まともに性能を発揮できないクルマもあるぐらいです。クルマを走らせることはタイヤ(グリップ力)をコントロールすること、と言っても過言ではありません。それだけに、正直このようなブログで掘り下げていいことではないのですが、できれば初心者のうちに知っていただきたいことでもありますので、そのタイヤについて少しだけ話を進めてみます。そこでもし興味がわいて、さらに深く知りたいと思われたなら、プロドライバーのドライビングや専門誌などで勉強してみてください。今はネット上でも様々な情報を得ることができるので、ほんといい時代ですよね。ただ、そこには意見の相違も多々見られますし、読んでいて混乱することもあるでしょう。私としては、大体の理屈が分かったらとにかく走ってみてほしいと思います。絶対的な速さは二の次です。自分の体でクルマの挙動を感じ取って、その後また考える。そうやって自分なりのドライビングを追求していくのです。それはきっと、楽しい探求の旅になるはずです。

 激務
 タイヤのグリップ力はよく縦方向と横方向に分けて説明されます。いわゆる摩擦円ですが、おかしな説明をして誤解を招いてはいけませんので簡単に言います。
 カーブを曲がるときは、しっかり減速を終わらせてから(縦)、クルマの向きを変える(横)。そしてクルマの向きが変わったら(横)、加速を開始する(縦)。
 これはあくまでも「基本」であり、必ずしもこんな風にはっきり分けて操作するというわけではありませんが、一本のタイヤにできる仕事には限りがあるので、うまく振り分けましょうという考え方です。
 さて、ハンドルを切って舵角を与えられた前輪は、接地面の変形を伴いながら転がってゆき、クルマは向きを変えていきます。極低速域であればクルマも素直に曲がると考えていいのですが、速度が上がるにつれ、そう簡単には曲がってくれなくなります。考えてもみてください。走行中にハンドルを切ると、それまで真っ直ぐ走っていたクルマの前輪「だけ」が突然向きを変えるのです。そこから重い車体(後輪も)を前輪が進もうとする進路に向けなければならないわけですから大変です。無理やり曲げようとしてタイヤを変形させすぎたり、摩擦力を大幅に超えたりしたら目も当てられません。
 こう考えると、コーナリングに際して乱暴な加減速やハンドル操作は禁物という話にも納得がいくのではないでしょうか。

 D1
 前回私はアンダーステアという表現を使いました。ですが実際のところ常にカーブの曲率や路面状況が変化する一般道では、明確な基準(ニュートラルステア状態)を置くことはできません。それどころかアンダーとかオーバーとか言っても、実はドライバーの感性や運転の仕方によってその度合いも変わってしまうのです。タイヤを設計しているとか、サーキットを針の穴に糸を通すようなライン取りで走行しているというのなら話はまた変わってきますが、多くの場合、運転の結果として表れるものと言ってよいでしょう。よって私は一般道の走行においてアンダー(オーバー)ステアという感覚は、多分に相対的(個人的)なものだと考えます。
 そしてこのアンダーステアオーバーステアを自在に操り、その技術を競う競技があります。いわゆるドリフトです。

操作について 8

千葉県で起こった痛ましい事故以来、通学路や抜け道の安全性を見直そうという話が多く出始めました。とても大事なことだと思います。ただ、約十年前に京都府亀岡市で同様な事故が起こった時も社会問題となり、まったく同じような話が出ました。一体、何が変わり、何が変わっていないのでしょうか。

 

・ステアリング 4

 前輪の向き
 クルマの進行方向を変えるのは前輪です(4WSなんてのもありますが)。そこで、この前輪と「曲がる」ということの関係について考えてみます。
 ハンドルを回すと前輪が向きを変えます。当たり前の事なんですが、ではどのぐらいハンドルを回すと、どのぐらい前輪に角度がつくのか、考えたことはおありでしょうか?
 例えば大きくハンドルを動かして山道のカーブを曲がっている最中に先行車の前輪を観察すると、意外なほど切れ角が付いていないことに気づきます。個人差はあると思いますが、感覚で捉えたものと現実との間にはギャップがあるということですね。ちなみにこのあたり、「頭文字Ⅾ」では感心するほど正確に描写されています。しげの先生最高です。それはともかく、この前輪の向きをイメージすることがクルマを曲げるにあたって、なかなか重要なのです。
 もちろん「そんなこと考えなくてもハンドルを回して曲がればそれでいいんだ」という意見もあるでしょうし、それはその通りです。まして状況によってはクルマが自分でハンドルを回すこの時代に、人間の運転能力など磨いたって大した意味はないでしょう。それを承知の上で話を進めます。
 私は「スターウォーズ」より「スタートレック」の方が好きなのです。

 

どういうメリットがあるのか

 あんまり多くはないと思いますが、いくつか。
 例えば交差点を曲がった直後、急ハンドルでバタバタと蛇行してしまうケース。ただ反射的にハンドルを回しているとこうなりがちです。修正するにあたって、どれだけ回せばどうクルマが動くのか、なるべく正しく捉えないと正確な操作は難しくなります。そこで重要になってくるのが「目線」。進むべき方向をしっかり見ていると実際の進行方向とのズレが分かり、どのぐらい操作すればいいのか判断できます。また、ここで感覚が養われます。
 次に、降雪や凍結などで非常に滑りやすくなった路面を走行する時。なんですが、実際のところ今どきのクルマはエンジン出力や電子制御デフ、ABSなどの総合制御(さらに言えば進化したスタッドレスタイヤ)により、横滑りなどを起こしにくくなってはいます。しかし完全ではないし、そもそも自分のクルマにはそんな機構は付いてない、という方もおられることでしょう。
 そんなわけで、カーブを曲がっている最中、タイヤが滑り出したとしましょう。この時どのタイヤが真っ先に滑り出すかは駆動方式や走り方によって変わってきますが、最も厄介なのは前輪が先に外へ滑り始めた時です。切った感覚よりクルマが曲がらない、外に流れる、いわゆるアンダーステア状態ですね。もし前輪の切れ角とクルマの向きの関係をしっかり掴んでいれば、初期のアンダーステアを察知できるはずです。現実には、このような路面では終始アンダー状態なのですが、その割合の変化を捉えるということであり、こういう時は0.1秒でも早く対処することが肝心ですから、有利になります。

操作について 7

BEVは、これまでの一般的なクルマに比べると構造が単純なこともあり、自動車メーカー以外の多くの企業がその製造に参入しています。それがどういう結果をもたらすのかは分かりませんが、バッテリーの価格が下がれば、利益の問題で消えていった小型のスポーツカーたちを安価で復活させることも可能ではないでしょうか。競技車両なども作りやすそうだし、もしかしたら意外な形で参加型モータースポーツの人気が再燃するかもしれませんね。

 

・ステアリング 3

 右折と応用

 旋回軸を意識することが重要なのは、もちろん右折でも同じことです。交差点の右折では、スペースに余裕がある分浅い曲率でだらだらと曲がってしまいがちです。それが許される状況なら別にいいのですが、このような運転が癖になると、例えば道幅の狭い交差道路に進入したとたん、たまたま出てきた対向車の鼻先をかすめるような危なっかしい状況を招く場合があります。そこで、できるだけ交差点の中央へ進入し、曲がるときに旋回軸の置き場所を想定しながらハンドルを切り(対向車が途切れるのを待つときなど、車体及び前輪は真っ直ぐにしておくことをお勧めします)、対向車線に影響しないようなラインで曲がることができれば言うことがないですね。
 さらに、旋回軸の意識は曲がりくねった山道でも応用がききます。そういった道を走る時、カーブの進入では前輪(頭)をどこに持っていくかに意識をとらわれがちです。そこで少しばかり後輪も意識してみましょう。カーブ内側の後輪がセンターラインに対して一定の距離を保ちながらも、なめるように走行する状態をイメージしてハンドルを操作します。
 このやり方のメリットは、走行ラインが安定することと、自分のクルマがセンターラインを越えにくくなる、ということです。長い年月運転していると、必ず左カーブ(相手から見ると右)でセンターラインを割ってくるクルマと出会います。というより割ってくるのが当たり前と考える方がいいぐらいです。カーブの曲率はたいてい一定ではないし、クルマの旋回特性もありますから仕方ない面もあります。実際のところ、少々はみ出されてもまずぶつかることはありません(右カーブで割ってこられるのは最悪の事態ですが)。しかし、このように漫然と状況任せの運転を続けることは積極的にクルマをコントロールしようという意識の低下につながります。対向車の危険だけでなく、見えない先に歩行者がいたり駐車車両があるかもしれないと考え、まずは自分の走行車線の中央を走るように心がけることも大事かと思います。アウトインなどは、それからの話かと。
 ところで念のため一つ付け加えておきたいことがあります。それは、クルマの左右方向の両端はサイドミラーだということです。タイヤがセンターラインを踏み越えていなければ良い、というわけではありません。注意しましょう。

後進
 後進(バック)の時もやはり同じです。駐車などで後進しながらハンドルを切る時、旋回軸を意識することで内側後輪の軌跡が見えてきます。ただ、こういう場合はまず駐車スペースや道幅などをよく確認し、どの位置から曲がり始めるかなど、最初の組み立てが重要になります。私ははっきり言って縦列とか苦手です。

分かれ道

池袋暴走事故に関して、トヨタが初めてコメントを出したと聞いて少し驚きました。それだけ慎重に調査していたのでしょう。

最近はペダルの踏み間違いによる事故を減らすため、急発進(誤発進)抑制装置などが普及してきました。しかしそれらは作動条件がある範囲に限られている事、本当に急発進が必要な時に危険回避ができない恐れがある、といった問題点もあります。そこでカメラやレーダーなどによる周囲の状況の捕捉が重要となるわけで、これらすべての機能が連携することで効果がより高まると考えます。
が、これも過渡期の考え方でしかありません。
十年近く前の話ですが、クルマの自動運転化へ向けての一過程として、周囲のクルマとオンラインで連携できないものかと考えました。これは、離合の激しい阪神高速を毎日走っていて、死角の恐ろしさを嫌というほど体験していたからです。死角にクルマが入った時、「互いの」運転席のモニターに表示されれば、どれだけ危険を低減できることでしょうか。
しかしその後、自動車メーカーはもっと手っ取り早く現実的な方法で対処しました。サイドミラーに何らかの表示を行う機能です。これは本当に素晴らしい装備で、バックモニターと同じぐらい標準化すべきものだと私は思っています。
ただ、この死角の問題で、特に注目すべきは「入った」側なのです。なぜなら「入られた」側は気づかない時があるとしても、「入った」側は考えをめぐらせればすぐに分かることだからです。つまり状況をよりコントロールできるのは「入った」あるいは「入ろうとしている」側ということであり、気が付かなかったでは済まされないその重要性から、さきほど「互いの」と書きました。これもまた、「予測」の一部なのです。
やがて自動運転化が進むにつれ、このサイドミラーも消えてなくなることでしょう。安全な運航を確保するため、やはり周囲のクルマと何らかの手段で通信し、連携することになります。なぜならその機能は、歩行者や自転車に対しても応用が可能だからです。今やみんな同じものを持っているのですから。
いつの日か、全能の存在がすべてをコントロールすることになるでしょう。まずは静岡から始まるかもしれません。 

「アクセルペダルが床に張り付いているように見えた」。
これほど何が起こったか誰の目にも明らかな状況で、罪に問われることなく終わるのか。日本という国家のあり方そのものが問われているような気がします。