笛吹は誰だ

何度も書いてきたように、K県は完全なるクルマ社会です。大阪だと、歩いたり自転車で移動していた人達が、全員クルマに乗っているようなものです。なので、歩道を歩いていても滅多に人とすれ違うことはありません。私の住む町は、K県でも比較的人口が多い所なのですが、それでも出会うのは30分歩いて1、2人でしょうか。そして、皆マスクを付けています。

私は、ずっと前から不思議でしょうがないのです。国道沿いの、こんな広い歩道を一人で歩いていて、なぜマスクを付ける必要があるのかと。すれ違ってもその間隔は1mどころではありません。しかも、ご近所さんでない限り、互いに黙ってすれ違うだけです。風も吹いている。法的な規制があるわけでもない。冬なら分かります。ウィルスとは関係ない理由がある人もいるでしょう。しかしこの暑い中、感染対策と言うならば、いったいどういう「考え」によるものなのでしょうか。すれ違う時の鼻息が問題なのでしょうか。だったらどんな厳重な対策を行おうと、ハナから感染を防ぐことなど不可能です。また、一人でマスクを付けたままクルマを運転している人を見かけると、暑苦しくて運転に集中できていないのでは、と気になります。「慣れた」と言うなら、マスクを付けていない時と同等の運転ができるようになった、という意味でなければ、実は危険なのです。

日常的にマスクを付ければ、普通に考えて、同じ時間あたりの酸素摂取量は減るでしょう。そのことが長期的に見て、日本人の脳にどのような影響を与えるのか、私は非常に心配しています。またもや考えすぎでしょうか。でしょうね。ただ、私のスタンスはこうです。権力のある人たちが「さあこの列車に乗りなさい。乗り遅れちゃだめです」と国民のケツをたたき、皆が一斉に同じ方向に動き出したときは、駅のホームで、しばらく様子を見ます。怒られたり、「乗り遅れて失敗した」場合は、あきらめるしかありません。しかし時に、2台目、3台目と続くうち、列車に乗る人の数が減ってくることもあります。「違っていた」と言って帰ってくる人があらわれることもある。帰りたくとも帰れない人も。要は、考えるチャンスは誰にでもある、ということです。結果がどうなるにしろ、いっとん立ち止まって考えてみても損はありません。勉強もできず、子供のころからさんざんアホぼん呼ばわりされてきた私は、特にそう思うのです。今。

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