MTがあればこのクルマは完成する インプレッサスポーツSTI (1)

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現行型インプレッサスポーツSTI(FF)を運転する機会がありましたので、感想を述べたいと思います。

 

私にとってはGC8以来のスバル車(他人のクルマだけど)、しかもスバルのFFに乗るのは初めてということで、久しぶりにとてもワクワクしてしまいました。

パッと見のデザインは良いですね。GD以来、紆余曲折がありましたが、モータースポーツと決別した後にたどり着いた、この落ちついた雰囲気の中にもスポーティさを感じさせる姿には何とも言えない味わい深さがあります。こいつも次のモデルではあの「メガネを外したのび太の目」になってしまうのでしょうけど。

乗ってみます。とにかく広いという印象です。特に後席足元の余裕はかなりのもので、トランクの容積などもあわせて考えると、このクラスでは一番といっていいほど実用的なクルマであるという話にも納得がいきます。運転席に座ってみると、Aピラー付近の見切りは良いしインパネ周りの姿もかっこいい。ステアリングも、ありふれた形状ではあるもののシルバーメッキの無いマットな雰囲気、そして握り心地も含めて非常にいい感じです。シートは電動式で無段階調整できるのはありがたいのですが、「3ノッチ目がベスト」といった決め打ち(妥協)ができない分、実は位置決めに迷ってしまいました。

ところでアイサイト(Xではありません)などの運転支援装置に関しては、正直言って浦島太郎状態ですので、すべて「すごい、よくできてる」としか言えません。ごめんなさい。

次にエンジンをかけます。実は納車時すでにマフラーのみSTIセンター出しに交換されていました。見た目、ノーマルとは比較にならないぐらいかっこよくなっていますが、エンジンをかけた瞬間少し甲高い爆音をたてるのでちょっとびっくりします。ただしアイドリングが落ちるとすぐに静かで乾いた音に変化するので、あまり心配はいりません。本当はもっと音量を抑えたかったはずですが、それでは狙った性能が出ない。見てくれだけのアクセサリーを作っているわけではないSTIの真面目さを感じ、好感が持てました。

ミッションはCVT。マニュアルの設定はありません。Dレンジに入れて走り出します。カックンブレーキですが慣れるしかありません。真っ直ぐな道ではやや直進安定性が気になりますが、おそらくSTIだからでしょう。そして、しばらく走った所で私は呆然としました。「なんだこのミッションは‥」。

このCVTの「極低速時のギクシャク感」については、私が知らなかっただけで何年も前からスバルユーザーの間で問題視されていたようです。詳しい事情はわからないので、あくまで感覚的な話ですが、燃費最優先のプログラムがエンジンやミッションの連携に悪影響を及ぼしている気がします。トルコンATならここまではならなかったでしょう。プログラムを書き換えるにしても大幅に燃費を落とすわけにもいかない。だとすればですがこれは設計段階から抱える問題であり、何年も引きずるわけです。

ただし、この現象はエアコンのコンプレッサーが回っていなければ軽減されますし、うまくいなすようなアクセルワークを行っても然りです。3000キロほど走ったところでやや変化も現れてきました。さらに言えば、この後他メーカーのCVT車両数台を運転する機会がありましたが、どれも似たり寄ったりでしたし、ある程度は仕方ない事と言えるでしょう。ただ私は、会社が立ち上がったその日から飽くことなく高性能を追求し続け、それがここまで万人に認められるようになったスバルが、なぜこのようなミッションを載せているのかと、それが悔しくてならなかったのです。

可能かどうかは別として、一番の解決策は6速MTを載せることでしょう。もちろん私が若い頃とは違い、今どきのクルマはATの方があらゆる面で優れていることは分かります。しかしこのCVTを使うぐらいなら、きちんとクロスしたMTの方が明らかに低速からスムーズに走れるし、燃費も向上するはずです。そして速く走れる。スイフトスポーツがよい例ですね。その選択肢が欲しかったということです。

とはいえこれは極低回転域の問題で、高回転域を使って走ることを重視するSTIユーザーにはCVTでもいいのではないか、という意見もあるかもしれません。でも、そうもいかないのです。ハンドリングが素晴らしいからです。

フロントダンパーは専用開発、リヤダンパーはノーマルをチューンしたもの、とされています。その設定はやや硬めですがボディ剛性が高いため、凹凸はただの凹凸としてシンプルに感じられるだけです。カーブの入り口でステアリングを切り込むと、低重心のボクサーエンジンのメリットをよく生かし、すかさずフロントが向きを変えてゆきます。それは決して演出過剰の軽快さではなく、しっかり地に足をつけて曲がりこんでゆく感覚で、ドライバーの意識とシンクロして思った方向にクルマが向かっていきます。まるで「こう切ればこう曲がるんだよ」と、クルマが教えてくれているようです。タイヤもいいですね。扱いやすい。そしてフロントが回り込んだ瞬間後輪が素直に追随していきます。もしかしたらこれをワンテンポ遅れるように感じる人もいるかもしれませんが、FFですし、私はフロントの反応が早いせいだと思っています。ちなみにボンネットはアルミ製。今はこういう普通のクルマもアルミなんですな。ブレーキに関しても、まだ長時間走りこんでいないので断言できませんが、私ぐらいのペースなら十分な性能です。

このように、インプレッサスポーツSTIは開発の方が主張するとおりの性能を持つ素晴らしいクルマです。面白いことにインプレッサを運転した翌日、仕事で自分のクルマに乗った時、いつも苦手にしているカーブを難なく曲がっていくことができました。このことから、私のように走らせ方を忘れてしまった人間にもその楽しさを思い出させてくれる、そんなクルマではないかという気がします。

だからこそ、ハンドリングの素晴らしさが理解できるほどに、CVTのもどかしさが残念でならなくなるのです。いくらパドルシフトを活用して高回転域を使ったとしても、やはり特有のラバーバンド感は消えるわけではありません。さらに、この車体サイズで燃費重視のNAエンジンである事が拍車をかけます。そう、もともと現行インプレッサはスポーツ走行とはかけ離れたクルマなのです。なのにSTIが設定されてしまった。だからMTが必要なのです。速く走るためではなく、より操る楽しさを得るために。こういうのをジレンマというのでしょうか。

そして、まだまだ走りこみたいと思っていた矢先、タワーバーとドロースティフナー(フロント)が取り付けられてしまいました。私はさらに悩むことになります。

 

何のための更新なのか

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昨日、久しぶりにバイクに乗ってツーリングに出かけました。一人で淡々と走って、人の少ない休憩所や道の駅で缶コーヒーなんか飲んで帰ってくるようなツーリングですので、ちょっと寂しいですが時代に即した趣味ではあると思います。

さて、出発して間もなく、クルマの列について走っていた時です。すぐ前を走るヤリスが蛇行していることに気が付きました。時に路側帯やセンターラインを踏み越えるほど左右にふらつき、左カーブですら対向車線にはみ出していきます。最初は、早朝ということもあり居眠りかと思いましたが、速度は比較的安定しているのです。居眠り運転ならスピードが上下するし、車線の中央に戻る時も、もっと急ハンドルです。首もふらつかず前を向いているからスマホでもない。となると朝っぱらからの飲酒運転かと恐怖を感じ、信号待ちの時ドライバーの様子をうかがってみました。よくは見えなかったのですが高齢の女性で、ハンドルの上の方をしっかり握り、かなりの前傾姿勢で余裕のない雰囲気でした。もともと苦手なうえ加齢の影響もあって、そのような運転をしていたのかもしれません。

もし本当に居眠りでも飲酒でも「ながら」でもなく、あれが普通の状態だとすれば、そのドライバーはクルマのハンドルを握っている間中、いついかなる時も危険走行をしていることになります。ある意味一番恐ろしいドライバーと言えますが、かと言ってこの方を責めることは私にはできません。K県も他の多くの地方と同じくクルマ社会です。一部地域を除いて、クルマが無ければ生活ができない。このような人たちから簡単に免許を取り上げることはできないのが現実なのです。

考えてみれば、受講者自身が自虐的に笑いの種にするほど「優しい」免許更新を行ってもらえることは、ありがたい話なのかもしれません。しかし、このまま行けば、今はどういうわけか議論に上っていませんが、いずれ貸与する側の責任が問われることになることでしょう。高齢ドライバーだけに限った話ではなく、です。それまでに全自動化が間に合うなら別ですけど。

 

ところで、私はMBSラジオ「ええなぁ」のファンなのですが、何の偶然か、ツイッターを拝見すると「助手席での居眠り」が話題に上っており、アンケートまで取られておりました。それによると居眠りかまへんやん、という人の方が多いようです。なんか安心しました。

短編の記憶

夏の思い出

 

 小学五年生の夕子ちゃんは、礼儀正しくて、ちょっと内気な女の子である。お父さんは「夕子は、まじめなんだよね」と言ってくれるが、本当はそんな自分があんまり好きではない。でも、まだ八月の半ばだというのに夏休みの宿題をすっかり終えてしまったのだから、やっぱりまじめな子なのである。

 そんな夏休み中のある日、夕子ちゃんは親友のともこちゃんと、ともこちゃんのお母さんの三人で、市民プールに遊びに行くことになった。集合場所のともこちゃんの家までは、一番近道を歩いて十分ぐらいの距離である。でも夕子ちゃんはちょっと遠回りをすることにした。というのも、ある知らない家のガレージにいる、白い大きな老犬の姿を見たいと思ったからだ。 
 めったに通ることのない道にある家なので、その大きな犬の存在に気付いたのは最近のことである。ある日通りがかりにふと車の入っていないガレージの奥を覗きこむと、犬小屋から半分体を出して気持ちよさそうに寝ている犬の姿が見えた。歳はとっているようだけど、とてもかわいらしい寝顔をしている。夕子ちゃんはその犬のことがすっかり好きになってしまった。以来、時々その家の前を通ってはガレージを覗き込んたりしていたのである。
 その家のある通りに入ったとたん、「あ」と、夕子ちゃんは少し驚いた。だって、いつもはガレージの奥にいるはずのあの犬が、その日はどういうわけか入り口の門につながれて、通りに立っていたからだ。そんな姿は、今まで一度も見たことがなかった。
 初めて日の当る場所でみる老犬は、優しそうな黒い瞳をしょぼつかせて、なんとなく立っていることが辛そうに見えた。もしかしたら体の具合が悪いのだろうか。
 どうしよう。夕子ちゃんは、手を伸ばせばすぐ届く所にいるその犬に触れるかどうか悩んだ。せっかくこんなに近くにいるのだから頭をなでてあげたいのだけれど、私のことを怖がって吠えたりしたらどうしよう、とか、家の人に怒られないかな、とか、色々考えてしまったのである。
 結局夕子ちゃんは、その犬のことを横目で見ながら、いつものようにそのまま通り過ぎることにした。いつかまたこうやって表につながれることもあるに違いない、その時はきっと頭をなでてあげようと、そう自分を納得させながら‥。

 友達と遊んだり、いなかに帰っておじいちゃんやおばあちゃんに会ったりと、楽しく過ごしてきた夏休みも気が付けばあと数日で終わろうとしていた。ともこちゃんはかなり宿題が残ったままだからと(お母さんにすごく怒られたらしい)、ここのところ、ぜんぜん遊んでくれない。
 そういえば、あの犬はどうしているだろう。ふと、夕子ちゃんは思い出した。表につながれていた姿を見て以来、一度も会いに行ってない。あの時はちょっと怖かったけれど、とても優しい目をしていたことをおもえば、きっと触っても怒ったりしなかったに違いない。そう考えると急にあの大きな老犬に会いたくなってしまった。
 次の日、近所の商店街までおつかいを頼まれた夕子ちゃんは、ちょうどいい機会なので、ついでにあの家の前を通ってみることにした。もしかしたら、また表につながれているかもしれない。飼い主さんが犬小屋で寝てばかりいる姿を見て心配になり、外に出してあげるようになったんだ。だから、毎日あんな風に外にいるに違いない。きっとそうだ。
 商店街からの帰り道、買い物の入ったビニール袋を右手にぶらさげた夕子ちゃんは、見慣れたガレージの前までやってきた。想像と違って、犬は表にいない。ということは、また以前のように犬小屋の中で寝ているのだ。じゃあ今日は触ることができないな、ちょっと残念に思いながら、夕子ちゃんは車の入っていないガレージの奥を覗き込んだ。いつもの犬小屋が目に入る。でも、そこには大きな体を窮屈そうに押しこんで寝ていたあの老犬の姿はなかった。

 かわりにそこにあったのは、一輪の花が活けられた、きれいな薄い緑色の花瓶だった。

  

 それから五年、十年と時は過ぎ、夕子ちゃんはすっかり大人になった。人生は、あの頃とくらべようがないほど忙しくなったはずなのに、夏が来ると今でもガレージの奥で寝ていた大きな老犬のことを思い出す。それはたぶん、あの時頭をなでてあげなかったことを後悔しているからだろう。ただ、だからといって以後の自分の中で何かが変わったかといえば、それは分からない。そんな自分を、あいかわらず好きにはなれないけど、でもこんな風には思うのだ。あんな後悔って、なるべくしないように生きていかなきゃなあ、と。

 

 

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考え方 9

・同乗者について 2

後部座席
 高級車は別として、大抵のクルマの後席は居住性が前席より劣っています。例えば座席の真ん中にアームレストが装備されていないと体の抑えがきかず、カーブの度にいくらか足を踏ん張ることになり、疲労します。ドア内張と距離があれば同様です。そもそも前席ほどには足元が広くありませんので膝の角度が強めに曲げられたまま動かせず、膝の痛みを誘発する場合もあります。この他排気音がうるさかったり、視界が悪いとストレスにつながることもあるでしょう。いつも運転席にばかり座っているとこういうことを忘れがちなんですね。少なくとも私はそれで失敗しています。
 私はここ数年、年老いた叔父と母親を乗せて、いろんな場所に移動する機会がありました。そういう時、必ずといっていいほど叔父は助手席、母親は後席に座るのですが、ある時から母親がクルマで出かけるのを嫌がるようになりました。はっきりとは言いませんが、後席に座り続けるのが辛いようなのです。私はハタと気付きました。もしかしたら自分の運転が悪いのではないかと。
 確かに室内の狭い軽自動車に乗っていたころもありましたし、田舎ということもあって、山間部の曲がりくねった道を走る機会が多かったせいもあるでしょう。しかし何より、そういう状況下で後席に押し込められている高齢者のことを気遣った運転ができていなかったことが最大の原因ではないか、と思ったのです。考えてみればクルマの前と後ろでは、サスペンションの設定に起因する乗り心地の違いだけではなく、コーナリング中に現れる挙動にも違いはあるはずで、前席の基準だけで加減速やステアリングワークを行ってよいはずがありません。
 評論家の福野礼一郎さんは、ずっと以前から「クルマはリヤ(後席)に乗らないとわからない」とおっしゃっていました。もちろん停車中、走行中問わずです。運転席にだけ座っていても見えないことがあるということなのですが、こんな当たり前のことに最近まで気が付かなかったというのも情けない話です。以後私は、まず後ろに座る人のことを考えて運転するよう努力しています。具体的に言うと、カーブを曲がるときになるべくリヤを振り出すような横Gを発生させないように、必要なのはクルマが地球の公転のように曲がっていくかのような感覚ですね。私は未舗装の道を走り回っていた経験があるため、どんなに慎重に走っているつもりでもこれと真逆の運転をする癖がついていたらしく、その自覚が無かったことにもひどく後悔しています。自分の運転はその程度だったということです。
 今後、家族や友人を後ろに乗せて走る機会もあるでしょう。初心者のうちにぜひ後席も気にする運転を心がけるようになっていただけたら、と思います。

考え方 8

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・同乗者について

 誰も寝てはならぬ
 自分の運転を客観的に見ることは大切です。普段から何も考えずに運転していると、誰かを乗せた時に不快な思いをさせてしまう恐れがあります。不快な思いとはつまり、恐怖心であったり、車酔いという形で現れたりするものです。特にドライバーが知らない人だとその傾向は強まり、そのドライバーの運転リズムを掴むまで、助手席にいながらブレーキを踏むような動作をしてしまう人もいます。
 私は同乗者がいる時は、その人が居眠りを始めるような運転を心がけます。早朝や仕事帰りで疲れているような場合は別として、無意識下の恐怖心が和らがなければ、なかなか居眠りはできません。そこで、できるだけ一定のリズムを持った穏やかな運転を行います。「子守歌運転」とでも言いましょうか。そうして、さっきまでしゃべっていた人がいつの間にかウトウトし始めたら、悪くない運転をしていると考えてよいでしょう。
 なんですが。助手席側から見るとそう簡単に居眠りしてよいわけではないのが難しいところなんですなこれが。
 その昔、ある現場を終えた私は年下の同僚と二人でクルマに乗って帰社することになりました。帰り道の阪神高速神戸線は渋滞が予想されたため、現場に向かう時も助手席に座っていた私は運転を申し出たのですが、その同僚は私の申し出を断り、帰路も運転をしてくれました。そこまでは良かったのですが、案の定渋滞にはまった時に、私はつい居眠りをしてしまったのです。やがて会社に帰り着いたとき、その同僚は猛烈に機嫌が悪くなっておりました。
 そもそも「助手席」というぐらいですので、居眠りするよりは、やはりドライバーにある程度協力する必要があると言えばあるのです。左側方の確認とか、それこそ居眠り運転していないか監視する、などです。しかし何といっても、寝てはいけない一番面倒な理由は感情的なものです。「俺が運転してやっているのに居眠りなんかしやがって」というアレですね。実は最近まで知らなかったのですが、同乗者が居眠りすると怒る人が結構多い、というより居眠り上等などと考えている私のような人間の方が少数派らしいのです。だからやっぱり助手席に乗っている時は起きている方が無難なのでしょうね。でも私はやっぱり怒る気にはなりません。だって子供のころを思い出してください。両親と出かけて一日遊んだ後、帰りのクルマの中で気持ちよく居眠りして、はっと気が付けば家に帰り着いていた、なんてこと、ありませんでしたか。
 それは、幸せな記憶だと私は思うのです。